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SUNは15歳7ヶ月と6日でわたしのもとを旅立ちました。2019年1月相棒SUNを失い、寂しさのあまり4歳のぴょんを里親として迎えいれました。SUNとの思い出とたいくつな日常を綴ってました。が!わたし、癌の告知をうけました。闘病生活?も記録したいと思います。 
プロフィール

SUNの同居人

Author:SUNの同居人
SUN(さん)
2003.6.15-2019.1.21
15歳7ヶ月6日で 旅立つ
相棒を失い悲しいく寂しいいわたし=同居人
SUNは食いしん坊ビーグル。

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もし、この記事をわたしを知る人がみても、心の奥にそっとしまって頂けると幸いです。




1月24日
先生お久しぶりです。
からの現状報告。意外と元気ですよ。
以前より疲れやすくなったのは認めるけど・・・
普通に生活できてます。

エコー検査と血液検査しました。
エコー検査は嫌だけど、しかたないものね。
現状把握はわたしもしたいし。ここはガマンの子。
一番細いサイズ使ってくれたけど、やっぱり痛かった(涙)


9月末のエコー検査で腫瘍は6.5cmだった。
3ヶ月以上たった今日、腫瘍は7cm あんまり成長してなかったよ。
8月末の時は5cmって言われたからね。
9月末で仕事辞めて、ストレスフリーな生活。
起きるのも寝るのも食べるのも、自由気まま
ストレスフリーってすごいことなんだ。
あわよくば、小さくなってることを期待してたけど、それは無かった!

貧血も少しばかり進行してたので、鉄剤の処方をしてもらった。
次回は3ヶ月後。
この調子だと、長生きしそうだ。

診察料金 2410
薬      760

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寒くなり体調の良くない日もある。
冷えからくるのかな?
朝、頭痛がしてフラフラする日があったり。
貧血が進んでるという懸念もあるけど、深く考えない。
室温は同じでも、手足が冷たく体感的に冷え冷えの時は頭も回らず、動く気もしない。
湯船にゆっくり浸かると、気持ちも体も復活する。

出掛ける予定のある日は気合と栄養ドリンク(^^)v

自炊することが増えた。時間があるからねぇ。暇潰しというか・・・
温かいものを食べたい季節でもあるし。
ちゃんとご飯を食べると元気になるような気もする。

味噌汁はインスタントだったけど、お湯から作ることを憶えたよ。
手の込んだ料理はしないけど!
食料の買い物は、お惣菜の割引シールが貼られる夜遅くに行くことが多かったけど、
開店まじかに行くと、お肉類に割引シールが貼られてることを発見したり。

やる気のない日は、相変わらずインスタントやパン類だったりするけど!


毎日、どこかに不調があるのは確かだけど、仕事に行くわけでもないし
自分とぴょんのことだけをすればいいのだから、今のところ生活には支障はない。
しんどい時は即お布団で横になる。1,2時間で復活する日もあれば復活しない日もあるけど・・・
誰かと約束することも少ない。がんばるということもほぼない。気分次第の日々だからね。


一年後はどうしてるだろう?と考えることがある。
お布団の中では、想像と空想の時間?が多い。いろんな意味でのシュミレーション(^^♪
どんな生活してるのだろう?
そもそも一人でまともな生活ができてるのだろうか(苦笑)
今は、失業給付金がある。でも三ヶ月間だけ。
収入が全く無くなったら、少ない貯えが減るだけ。
マンションを売ることも視野に入れてた。
が!保証人がいない無職の人間が入居できる物件はあるのか?
しかも、ぴょん=ペット可物件でなきゃダメだもんな~

ガンの告知を受けた時、貯えが無くなる前に命が尽きると考えてた。
でも、今のところまだまだ元気だ。

春になったら、マジに出来る仕事を探さなければ!なのか。
ハローワークでも在宅の仕事を探してはいるが、希望の職種では難しそうだ。
短期のバイトとかもチェックしよう。
まだ11月なのに、街中にお散歩にでかけると、クリスマスバージョンになってた。

20221124104951105.jpg



2022年9月16日 癌の告知を受けました。『子宮頸がんⅢC1期』
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ガン告知から2ヶ月過ぎた。
仕事お辞めて、もうすぐ2ヶ月。
断捨離も順調に進み、荷物は半分くらいになっただろうか?
少なくとも洋服類は半分に減らした。
一段階目はそろそろ終了かな。後は、写真とか思い出の品々・・・
これは最後の最後にエイヤーって捨てることにしよう。

朝、爽快に目覚めて、掃除・洗濯、昼間出かけて、夜ごはんマジメに作ったらすごい充実した一日だったと思う。
が、翌日は疲れてるのか?目覚めが悪い。一日ダラダラと過ごしてしまう。
体調がそう悪い訳ではない。
ただ、朝晩が冷え込むようになり、お腹が痛いときがる。
毎日、タラタラとした出血だったのが、久々に大量出血だったり。でも長く続かないないので大丈夫だろう。
冷えが大敵なのか?対策をしなければです。


ガンの告知を受けた時は子宮頸がんについていろいろと調べた。
でも、今は調べることもない。
自分の体の現状を受け止めるのみだ。

12月に一週間程、旅にでようかと考えてたけど・・・
寒くなると、今の私には車中泊は厳しいのか?
楽しめなきゃ行く意味ないしなぁ~

時間をどう使うか考える。
近場で楽しめること。毎日楽しみにできること。
何かをしなければ、無駄に一日が過ぎてしまう。
モチベーションのためにも何かさがさねばです。

春になったら、旅に出ようと思う。
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もしも、ガン保険に加入してたら
もしも、わたしに一緒に暮らす家族いたなら、
治療するという選択もあったのかな~

高齢の母は実家で一人暮らし。
腰は曲がって、いろんなことに時間はかかるが元気だ。
要支援認定も受ける気がない。
この夏には白内障の手術もした。
眼科への通院も一人で3ヶ月できた。(保障人の印だけは押したけど)
100歳まで、一人で頑張る気満々だ。

そんな母に余計な心配はかけたくない。
6年前、旅先の鹿児島で骨折し、手術・入院となったとき、かなり心配をかけた。
わたしは、隠すつもりだったけど、病院の先生が母に電話して手術のことを伝えた。
鹿児島は遠いので、来なくていいと説得した。
だって、一人じゃ来れないから誰かに付き添ってもらわなきゃいけないから。
その誰かが、いないじゃん。
地元に転院してからは、一人で何度かお見舞いに来てくれた。
年金から見舞金もくれた。

あの頃もすでに腰は90度近く曲がってたから、歩くのは相当遅かった。
車イスを卒業し、松葉杖で歩く練習が始まった頃、病院で母を見送りにエレベータまで歩くのに、わたしが待って~と言う始末だった(苦笑)
そう、マイペースで自分のことで精いっぱいなのだ。

話がそれたが、今も仕事を辞めたことは伝えてない。
いままで通り、週末に母の様子を見に帰る。
おしゃべりして、お昼だったりお茶を一緒にする。
草刈りしたり、外回りのこともする。
なにも変わらない。

いつかは、ガンのことは伝えなければならない。
でも、今はいつもどおり動ける。余計な心配はかけたくない。
もしも、治療したら2ヶ月の入院しなければならない。
そうなれば、ガンのことを話さなければならないだろう。

2年前の甲状腺のときも伝えてない。手術跡も目立たなかったから全く気付いてない。
今も、(甲状腺肥大による)首の腫れにも気付いてないんじゃないかな(笑)
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会社から離職票が届いた。
待ちに待ってたんだよねぇ~
市役所には、国民健康保険、国民年金の手続きに10月の初めに一度行ったけど、離職理由によっては免除の手続きができると担当の方から聞いたから。だってさー 支払額びっくりするくらい高いんだもん。
年金なんて受け取れるかどうかも解らないのに、支払う意味あるのか(苦笑)
市役所に離職票持って行ったら、先にハローワークで手続きしてくださいと言われた。
離職理由により免除額が変わるんだって。

離職票持って、ハローワークに手続きに行ったけど・・・
なんか手続き面倒臭い。
所定の用紙に病院で記入してもらってくださいだって。

とりあえず、医大に電話してみた。
診断書の受付に提出してくださいと言われ・・・
書類持って、医大に行ってきた。
出来るまでに 2、3週間かかるんだって。

医大から帰って、お家でくつろいでたら、電話がかかってきた。
婦人科の先生からだった。
紹介状の件、○○病院ですが断れました。
治療をすることが、前提だということでした。
他の病院にも問い合わせをしたそうですが、どこも断られたそうです。
このまま宙ぶらりんになるのも困ると思うので、引き続き医大で経過観察してくれるそうです。

そうなるか・・・
先生の声のトーンが低かった訳だ。
迷惑な患者だね。
ってか。先生も想定してなかったことなんだろうな~
ということで!!
次回の予約を来年1月に取ってくれました。
それまでの間に、出血とかあったら電話で予約して来てくれいいとも言ってくれた。
でも、絶対行かない。行きたくない。

そういえば・・・
骨折(左大腿骨幹部がぽっきりと折れた)のとき、鹿児島から地元に転院するときもそんなことあったなぁ~
早く地元に帰りたくて先生に無理言ったっけ。
転院するときのわたしは、手術後17日で 完全免荷期間でした。
転院先は最初、自宅に近い病院を指定してました。どれもこれも断られ・・・
結局、病院のコーディネータさんが受け入れてくれる病院を探してくれたんだっけ。
あの時、思ったんだよね。患者の都合だけで病院は受け入れてくれないんだ。
完全免荷期間じゃなかったら希望の病院に受け入れてもらえてたんだと。












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